読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゆるぷる備忘録~節約・妊活ライフハック~

ゆるくシンプルな節約、貯蓄、女子力、妊活などの備忘録をつづっていきます

広告

【雑記】3月11日(注:真面目にかいてるのでいつもと違います)

備忘録的なこと

ああ、あれから5年目ですね。

今日はちょっとまじめな話。

文体普通にもオチもなくかくよ。

なのでいつもと違うのでご注意ください。

 

最近よくTVで震災テーマのものが多くなったなって思ってたんだけど

よく考えてたら

今年はあの時と同じ金曜日なんですね。

 

震災から丸5年たちましたね

あんなに大変だったし、毎日の余震で恐怖だったのに

人間はほんと忘れる生き物なんですね。

 

沿岸部じゃないから津波はなかったけど

6度強の地震、しかもその時の会社が事務所3階で、

しかもミーティングで狭い部屋で打ち合わせ中に地震が発生しました。

最初は地震だねー、なんて周りの人と余裕で話していたのに

10秒、20秒と止まらない地震

そのうち、ぐわんと大きくゆれだして、

これはやばい、ってあわてて部屋を飛び出したけど

あまりの揺れで立っていられない状況に恐怖、

しかも揺れている時間がものすごく長く

このまま死ぬんだろうかと思った。

(実際3分近くゆれてました)

 

その後事務所に戻ると、

天井が崩れているし、ファイルやPCが散乱して机から落ちて床に散らばった状態。

みんなはあわてて外へ出ようとしてるし

混乱ってああいうこというんだなって思った

工場だったので人も多くみんな一斉に階段に向かっていた

我先に外に出ようとする心理だね。

 

外に出ると会社命令で駐車場に2時間

雪が舞ってるなかただそこにいるしかできなくて…

バッグもないしかえれない

携帯電話は持ってたけど、親ともつながらないし

寒さに震えながらみんな不安だった。

 子供と連絡つかなくて涙ぐんでる方も多く

大丈夫ですよ!と肩をさすって落ち着かせたりしてたな....

午前中は晴れていた空がどんよりと雲がうずまいていて

誰かが雲がおかしいって騒いでいてみるとたしかに変な感じで

地震の影響かな?って思ったのを思い出した

 

その後なんとか家に帰ったけど

そのあとからが大変だった

うちはかろうじてライフラインはつながっていたけど

いろいろなものが部屋に落ちていて皿はほぼ全滅でした。

友達のうちは水がダメ。電気もダメ。

だからうちは被害が最小限でよかったほう。

市内は1週間くらいで復旧したけどその間

友達がうちに水くださいとお願いに来ていたな

もちろんいっぱい渡したよ。

協力は惜しまないですよ。

 

また友達の住んでるビルが崩壊して、

しかもニュースでその崩壊シーン見ちゃって。

連絡してもつながらないし、TVから何度も流れるその光景に

大丈夫なのか不安、生きているのか不安しかなかった。

宮城の友達とは連絡つかず、TVの津波見るだけで怖かった。。。

どちらもその後連絡とれたけど

ビル崩壊友達は避難所暮らしを半年していた

宮城の友達は親戚が津波で亡くなり、友達も半数なくなったそう。

今はどちらも元気だけど、たぶん今時期は私より思うことはあるのだろうな。

 余震がまたひどく、毎日震度4以上の余震が続く。しかも1日何回も。

そのたびビクっとなっていた。

またあの揺れが再現するのだろうか?ってびくびく過ごしていた。

 

おかげ様でいまは震度4くらいじゃ驚かず

会社でもみんな普通に仕事するっていうね←え?なんかあった?みたいにwww

 

それから会社機能が復旧されるまで

待機状態になりずっと家にいると

TVで流れる津波情報に気がおかしくなりそうだった

でも何がおこるかわからないから見ないわけにはいかない。

さらに原発のニュースに驚きをかくせずまさか爆発なんてしないよね

爆発しないでって祈っていたり....

1回目の爆発後2号機、3号機が爆発するの?

海水でもいいから早く注入してって思ってニュース見ていた。

爆発はしないと、当時の総理である菅さんが大丈夫っていうから

信じていたらあっさり爆発しちゃって。

もう、どこいっても日本おわりじゃん。

なら逃げてもむだかな?っても思っていたり。

 

爆発後30km県内ではなかったので避難指示は出なかったけど

でても逃げ場もないし

ここで生きるしかないって思ってた

今はどこでも生きていけると思っているけど

故郷を捨てることはできないとマジ思っていた。

子供がいる友達は当然避難していて

ぷるちゃんも逃げなよって言われたけど

高齢の親つれててどこに逃げればいいのか…

逃げた友達にイラついたり

生活を捨てることができなくて泣きそうだった。

当時逃げようにもガソリンなかったしね。

 

食糧買うのに、あんなにスーパーに何時間も並んだのは初めてだった。

しかも何時間も並んだのに手にはいったのは調味料とか限られたパンとかのみ

野菜や肉は在庫なく店員さんは謝ってるし

流通してこないことに東北は孤立してると思ったし、

それでも津波の被害が大きい場所よりはここはマシなんだよなと思ったり。

実際は原発でたぶん外に何時間もいたから被ばくもしたんじゃないかしら

目に見えないからわからないけど。

※それを知るのは大分後になってからでしたが。

 

今はだいぶ福島への世間の目も緩やかになってはきたのかな

当時は福島以外の場所へ行くと好奇の目で見られたもんだ

(車のNOが福島でばれる)

震災後3年目くらいまでは福島県民とは結婚したくないとか

滅びるとかネットでいわれて悲しくなったり

今はあんまり目につかなくなったけどさ

福島産の野菜や食べ物が他で売れない

からうちらが消費しちゃる!って思って福島産ばかり買っていた時期もあったね

だからTOKIOが宣伝してくれるとうれしかった

ファンになりました(元から好きだったけどさらに好きになった。ありがとう)

 

避難していた友達も

今年いっぱいで補助金終わるらしく

来年にはほぼ全員戻ってくるのではないだろうか?

二重生活難しくすでに戻っている友達も多く

あんなに戻らないっていってたのにおつかれって感じ。

故郷すてたって思いとあんなに人を被ばく者扱いしたのに

って思いもあるっちゃーある。

でも、子供がいたら私もなりふり構わずにげたであろうな。

いずれにせよ、戻ってきてくれてうれしいよ、本当に。

やっぱりさみしかったしね。

 

沿岸部の復興が始まっていて県内走るたびいつも工事ばかり

いいことなんだろうけど

除染の袋が空き地に積まれているの見ると

あれどうするのかな?って思うけど

やっぱり毎日生きてると忘れてしまう。

 

そんなときこの記事を読んで泣けてきた。

あのときの不安が蘇ってきた。

ui0723.hatenablog.com

 いろいろ思い出しすぎて

おもわずブログに書きなぐったわけで。

でも本当、人は安心すると目の前のことだけ

こなすことに精いっぱいになっちゃうよね。

後悔しないよう生きなくては、とあの時思っていたのにね。

 

 

ああ、ちなみに相方とは震災後に知り合っているので

上記の不安な時期に頼るってことはなかったのですよ。

彼は彼で大変だったらしい

会社に何日も泊まり込みとか

親が親戚の家に避難したので

当時買っていた犬のちいちゃんと暮らしていたとか

当時付き合っていた遠恋の彼女に

福島には行きたくないって言われたとかね。

それが原因でお別れしたとか、ね。

おかげで相方と出会えたので人生何があるかわからないね。

 

ということで

戒めをこめて14:46にUPしてみた。

6年目に無事突入

これからも何もなければいいな。

 ながなが書いちゃったけど

読んでくれた人、ありがとう。

 

 

Twitter始めました。 更新情報載せてます。シェアしてね

https://twitter.com/yurupule

 

 

↓↓↓ランキング上位の記事も読めます↓↓↓